熊野古道 二木島峠道・逢神坂峠
熊野古道 波田須〜大吹峠〜観音道
ここは、伊勢路の中では一番古い時代の石畳が残っており、鎌倉期の古道といわれている。
この時代の石畳は一つ一つが重厚で大きく、敷き方も豪快で江戸時代の石畳とははっきり区別ができる。
波田須町から磯崎町に抜けるこの峠には孟宗竹の竹林があり、とても風情のある峠道です。
波田須の道やこの大吹峠のある波田須町には、不老不死の仙薬を求めて中国からやってきたといわれる徐福や、弘法大師伝説などの言い伝えが多く残っており、歴史と自然の宝庫となっている。
大泊町の登口から頂上までの間に西国三十三ヶ所の石仏が並んでいて、寄進した観音講の名が記されている。
頂上には観音堂(泊観音)があり、江戸時代の石仏などがあり、この時代観音信仰が盛んであったことが伺われる。泊観音は比音山清水寺と呼ばれ、大同四年に坂上田村麻呂によって建立されたといわれている。
現在「大観猪垣道」が完成し、JR大泊駅を基点に周遊できるコースとして楽しめ、歩くコースには山の中を続く猪垣や、美しい熊野灘を見ることができる。
熊野古道 松本峠道〜浜街道
大泊町と木本町をつなぐこの峠には、大吹峠と並び、孟宗竹のある風情のある峠。
その峠の上には穏やかでやさしい顔をしたお地蔵さんが立っている。江戸時代のはじめのころ、鉄砲の名手が峠を越えて新鹿に行ったその帰り、行きにはなかった大きな地藏さんが立っていたため、鉄砲の名手は妖怪の仕業と思い鉄砲で撃ってしまった。しかし、その地藏さんは昼間に地元の住民が運んだものであった。その地藏さんの足元にはその時の鉄砲の跡が今でも残っている。
この峠の東屋から見る世界遺産である七里御浜は、伊勢路随一の絶景として見る者を感動させる。
七里御浜海岸は熊野市から紀宝町まで延々22Kmも続く日本一長い砂礫海岸で、「日本の自然百選」などにも選定され、アカウミガメの上陸地としても知られています。
七里御浜の松林の中には熊野古道の浜街道があり、熊野三山を目指す古道の一つとなっている。
また、街道沿いには巨岩を御神体とする花の窟神社があり、春と秋(2月2日、10月2日)には県の無形民俗文化財にも指定されている「お綱かけ神事」が行われます。
このお綱は、神様から幸を授かる綱とも言われ、その幸にあやかるため県内外から多くの参拝者が訪れます。
熊野古道 風伝峠
花の窟
鉱山資料館
徐福(じょふく)の宮 波田須の里
矢賀の蓬莱山、別称、丸山に徐福の墓が祀られてる。
今から約2200年前、秦の始皇帝の命により徐福は蓬莱山にあるといわれる不老不死の仙薬を求めて、500艘の船団を組み東方に向かって船出をした。途中台風に遭い徐福の船だけが、この地矢賀の里に流れ着いたと言われている。
帰国を断念した徐福は紀州への永住を決意し、やがて窯を設け、今も残る窯所、窯屋敷という地名はこのことを伝えている。
また、徐福は土木、農耕、捕鯨、医薬などの中国文明を里人に教えたといわれ、このことからこの地は秦住と呼ばれ、後に波田須という地名になったと言う。
徐福の墓の石碑は、稲荷神社と合資されている小祠の後にあり、御神宝は直径20cm余りの小さな摺鉢で、不老不死の仙薬こそ当地に自生する天台烏薬だとされている。