熊野市
有馬から本宮へと向かうこの古道は本宮道と言われ、この先で吉野へと向かう北山道と分岐する。
峠は熊野市と御浜町の境に位置し、熊野の海辺と山村とを結ぶ要衝で、峠には文政4年と刻まれた法界塔や地蔵が祀られている。
風伝とは風顛(てん)の当て字で、本来風のよく通る場所を意味している。
海側と山側の気温の差が大きい初秋から冬にかけての早朝には巨大な朝霧「風伝おろし」が峠を包み込む。ふもとの里へと降りていく風景は幻想的である。
熊野市
丸山千枚田の東を行く北山道で、道幅は狭いが苔むした美しい石畳が続く。
峠から千枚田展望台へと続く道があり、四季折々に表情を変える千枚田は日本の原風景そのものである。
熊野市
花の窟は720年(奈良時代)に記された日本最初の歴史書である『日本書紀』の神代第一で「国産みの舞台」として登場しています。
この地は熊野三山信仰に先立つ古代からの聖地「窟の熊野」として重要な意味を持っており、まさに日本人のルーツといえる場所です。歴史書には花の窟から御神宝を本宮大社へ移したことが書かれています。
日本書紀に記されている事柄(参考資料のとおり)そのままに、今も毎年2月2日と10月2日には、例大祭が行われ、多くの方が参拝に訪れます。
ドライブマップEエリア >>
熊野市
紀和町の鉱山の歴史は古く奈良時代、東大寺の大仏が造られた時も紀州地方から多くの銅が献上されたと言われている。
昭和53年に閉山したこの鉱山の歴史を紹介しており、採掘場の再現、竪坑を地底深く下りる疑似体験ができるエレベーターなど、当時をリアルに再現したユニークな資料が数多く展示されている。
開館時間:午前9時〜午後5時
休館日:毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は翌日休み)12月30日〜1月1日
入館料:大人500円 小・中学生200円(団体割引:20名以上20%)
TEL:05979-7-1000
熊野市
国の名勝・天然記念物「鬼ヶ城」の東側に広がるビーチです。
白砂の海岸のすぐ後ろに緑の山々が迫ります。
国道42号と国道311号の分岐のそばに位置し、交通の便も良い海水浴場。
熊野市
矢賀の蓬莱山、別称、丸山に徐福の墓が祀られてる。
今から約2200年前、秦の始皇帝の命により徐福は蓬莱山にあるといわれる不老不死の仙薬を求めて、500艘の船団を組み東方に向かって船出をした。途中台風に遭い徐福の船だけが、この地矢賀の里に流れ着いたと言われている。
帰国を断念した徐福は紀州への永住を決意し、やがて窯を設け、今も残る窯所、窯屋敷という地名はこのことを伝えている。
また、徐福は土木、農耕、捕鯨、医薬などの中国文明を里人に教えたといわれ、このことからこの地は秦住と呼ばれ、後に波田須という地名になったと言う。
徐福の墓の石碑は、稲荷神社と合資されている小祠の後にあり、御神宝は直径20cm余りの小さな摺鉢で、不老不死の仙薬こそ当地に自生する天台烏薬だとされている。
ドライブマップDエリア >>
ドライブマップEエリア >>
熊野市
天正年間、藤堂高虎が築城したと言われ、中世と近世の築城法を併用した平山城は今も築城当時の原形を残し、城跡は全国でも少なく、歴史的価値が高い。
ドライブマップEエリア >>
御浜町
片川川上流にある高さ3m幅約6mほどの巨石。
桃が二つに割れたようなユニークな形で地域の人に親しまれている。
この岩のそばには、一枚岩のすべり台や淵があり夏場には水遊びも楽しめる。
御浜町
世界遺産である「横垣峠」の出入口の里山集落。石積みされた棚田と山の稜線が織り成す里山風景は美しい。
稲作文化に育まれた伝統行事や江戸時代に築かれた土地改良遺産、石造物など歴史的遺産も数多く残る。紀州犬の発祥地でもある。
御浜町
イノシシ猟に用いられた勇猛な日本犬で御浜町阪本地区が発祥の地。
オオカミの血をひいているといわれ「弥九朗の犬」という伝説もあり、このお話は毎日放送系列の「日本昔ばなし」で全国に放映された。