徐福(じょふく)の宮 波田須の里

熊野市

徐福(じょふく)の宮矢賀の蓬莱山、別称、丸山に徐福の墓が祀られてる。
今から約2200年前、秦の始皇帝の命により徐福は蓬莱山にあるといわれる不老不死の仙薬を求めて、500艘の船団を組み東方に向かって船出をした。途中台風に遭い徐福の船だけが、この地矢賀の里に流れ着いたと言われている。
帰国を断念した徐福は紀州への永住を決意し、やがて窯を設け、今も残る窯所、窯屋敷という地名はこのことを伝えている。
また、徐福は土木、農耕、捕鯨、医薬などの中国文明を里人に教えたといわれ、このことからこの地は秦住と呼ばれ、後に波田須という地名になったと言う。
徐福の墓の石碑は、稲荷神社と合資されている小祠の後にあり、御神宝は直径20cm余りの小さな摺鉢で、不老不死の仙薬こそ当地に自生する天台烏薬だとされている。

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